期末テストが7月初旬に終わる。夏休みは21日からであるが、実質、テストが終わった次の日からお休みに入るため、7月初旬から9月頭までの長い長い休みがスタートする。
我が家にとっては、ニートのような生活を送ることが予測できる、長く辛い地獄絵図の開幕である。
乱れまくった生活リズム
休みに入ると同時に乱れまくった生活がスタート。明け方に寝て、起きてくるのはMLBの始まる時間だ。(大抵14時あたりからだった)
ちなみに、大谷さん、三苫さん、久保さんを観るためならば、どんな時間帯でも自ら目覚ましをかけて起きて観る。
その力を、ぜひとも学校へ登校する朝へ向けてはもらえないだろうか。
そらまるの夏休みは、パジャマで始まり、パジャマで終わる。
毎日昼過ぎに起きてきて、着替えもせず、ゲームをしているか、スポーツを観ているか、長風呂をしているか、または友達と近所の広場で野球かサッカーをして遊んでいるか(この時だけ顔を洗い私服に着替える)本当にそのいずれかだ。
長い長い休み中、勉強はついに1秒もしなかった。ついでに親との会話もゼロだ。何を話しかけても、完全無視である。
そんなニートのような生活を続けている中、7月20日、やっと母の待ちに待った登校日である!
テスト返却の日なので恐怖ではあるも、この日ばかりは、2週間弱ぶりに朝からちゃんと起きて、制服を着て、家をでる!
当たり前の学生のリズム!それだけで母の心は爽快で、見送ったあと「最高だー!」と大きく叫びながら伸びをした!
しかし、テストの返却のみなので、昼には帰宅。ちょっとくらい寄り道してほしいものだ。
前記事にも載せたが、ここで持ち帰ってきたのが現社と国語と英語であった。現社が平均よりマイナス20点、国語が平均よりマイナス30点、英語だけは平均点より上であった。
担任より、前期の結果次第では留年もありえますので、そのときは成績表郵送前にご連絡しますと言われていた為、この日から成績表が郵送されてくる日までの間、電話が鳴るたびに飛び上がる日々がスタートした。
成績が届き、神に祈りながら封を開ける
7月末日、ポストに慶應義塾高校からの封筒が届いていた。ヒッ!!!
悪い意味の方の高鳴る心臓を抑え、神に祈りながら、まずはDの文字がないかを、薄目で確認する。
塾高の概評基準として、AからEまで段階があり、AからCまでが修得したものとされ、DとEは不合格。1つでもDが付いたら留年と言われている。(一般的基準として)
それから、総合平均点が10段階で6に届かない者も留年となる。(一般的基準として)
Dは…ない。しかし平均点は…5.4であった。
塾高の成績の付け方は、1学期=1学期のみ、2学期=1学期+2学期の平均、3学期=1学期+2学期+3学期の平均となってしまうので、1学期でこのように5点台を取ってしまうと、2学期に頑張っても足を引っ張ってしまうわけだ。
この時点でそらまるは、2学期は6.6を取らねば、2学期の平均点が6に届かないということが確定したわけだ。
担任は、「中間テストが取れなかったなら、なんとか期末テストを頑張って、せめてせめて、前期で5点台後半を取っておかないと、後期で巻き返すことは厳しくなる。
0.1上げることすら大変なのに、もし、1上げるなんてことになったら、ほんとに厳しいと思ってください」と言っていた。
そらまるは…1.2上げねばならないのだ。
しかしである。外部生母、知り合いもおらず、右も左も分からぬ私は、この時まだ、事の重大さをイマイチ理解できていなかった。
なぜなら、「あれ?結果次第では成績表郵送前に連絡すると先生は仰っていたのに、連絡は来ていない。もしかして、まだなんとかなる成績なのか?これはセーフということなのか?」などと、ちょっと胸をなでおろしていたからだ。
地獄からの電話は鳴った
成績表が届いてから数日後の8月1日の夕方、自宅の電話が鳴った。自宅の電話が鳴るなんて、セールス以外滅多にない。
私は心臓が飛び出し、しかし、一瞬で覚悟を決めて受話器を取った。そしてそれはやはり、地獄からの電話で間違いはなかった。
担任はこう言った。
「今日、そらまる君を個人面談に呼び、2時間面談して現状の厳しさを伝えました。
神妙な面持ちで素直に聞いてくれていたので、分かってくれたかなと思い「この夏休みの過ごし方の重要性をわかってくれたよね?じゃあ、今日帰ったら、まず何に取り掛かる?」と聞いたら
「あ、今日は広場で友達と野球する約束があるので、今日はちょっとなにもできません」と!
「野球から帰ったら勉強できるでしょ!」と言ったら、ニコニコしながらも、やりますとは最後まで返事をしませんでした。なんとも…つかみどころがないですね…」
そこから、こう続けた。
前期の成績で、後期にチャンスが残る段階であれば、本人とのみ話す。
しかし、原級に限りなく近い、厳しいであろう場合、本人と保護者の両者と話をすると。
(これはそらまるの担任の連絡基準であり、先生それぞれ違うと思われる)
つまり、そらまると面談後、保護者へも連絡がきたということは、1学期で5.4とは、ほぼ留年に限りなく近い現実であるということであった。
進級会議にかかる成績と、かかることなく留年が確定する成績
のちに塾高生活の中で、少しずつ知り合いもできて、色んな情報が入るようになり分かってきたのは、5.5を切るということは大きな境目のようだ。
5.5あると、進級会議にはかけてもらえるという。
この段階で発表してしまうが、そらまるは、最終成績で5.3と付き「5.5にも届かなかったので、明日の進級会議にはかかりません。原級が覆ることはありませんので、早めにお知らせしておきます。」と、担任よりご連絡を頂いたのだ。
そう考えると、最低5.5という数字は、やはり目安ではありそうだ。
生徒によっては、5.5に届かなくても進級会議にかけられ、進級できたという噂話もよく聞く。
どの部活に在籍しているかが関係していると言われているが、これらは歴代の担任の先生達が口を揃えて「そんなことはない」とされていたので、事の真相は定かではない、とは言っておこう。
また、先生に直接頭を下げに出向き、レポートを提出し温情を得る、ということも留年回避ができた生徒の話の中で聞く1つだが、その後すっかり仲良くなった留年生母達で話をした際、全教科の先生に頭を下げに行きレポートを提出しても留年となったという。
留年会議にかかっても、結果は留年となった話もよく聞く。
結局は、どちらに転ぶか分からないそんな危ない橋を渡るより、6を目指す、それに尽きるのだ。
せめて5.7あれば進級会議にかかって進級できるとも言われているが、いやいや、しかし、やっぱり安心安全な6を目指そうではないか、息子よ!
話は逸れたが、私はこの日、そらまるが個人面談に出向いていたことすら、本人から全く聞かされておらず、知らなかった。
そんな重大な内容を話したことを前もって聞いていたら、先生から電話が来るだろうと心構えも出来ていたであろうに、こんなに心配する母のことなど、この時のそらまるは、なに一つ気にもかけていなかった。
受話器を握りながら、心臓がバクバクし胃の痛みまで感じていたた母だったが、そらまるはその時、近所の広場で友達と野球を楽しんでいた。
そらまるが帰ってきたのは22時を過ぎ、そのまま鼻歌を歌いながらお風呂に入って、ご就寝された。
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