【中3・1月】受験期回想⑬外部情報を全てシャットアウトした母 - ポジノー勉〜ポジティブ・ノー勉~

【中3・1月】受験期回想⑬外部情報を全てシャットアウトした母                    

中3

忘れもしない。私は1月12日より、受験に関連する全ての情報をシャットアウトした。
そらまるが中学に入学した夏から早稲アカの情報交換のためにアメブロを始め、お仲間さん達とずっと楽しく仲良く交流をしていたのだが、その皆さんにも「巣ごもりします、また会おう日まで」と一時的なお別れを告げただけでなく、家にいるとついつい見ては気づいたら夕方になってしまう例年の合格基準に関する情報や掲示板なども一切断った。

それは、見れば見る程追い詰められていく。私は、気づいたのだ。

私はそらまるだけ見ていたらいいのに、この顔も知らぬ人たちの過去の情報に心を乱され、そこで得た情報によって生み出される不安という妄想フィルターをかけてそらまるに接することになることは、あまりに危険なことであると。

我が子の成長

そらまるは、そらまるなりに成長していた。

朝は10時から勉強をはじめ、お昼を食べたら14時からまた勉強を開始するというリズムで過ごすそらまるを、私はだいぶ受験生らしくなったなと感じていた。

もちろん、朝は8時から勉強開始、お昼だって1時間で済ませて13時から開始だってできるわけだが、そらまるの1日のスケジュールは、8時に起きて10時までハイキューを観る、12時からお昼を食べながら14時までハイキューを観るなど、まだまだ甘いと言われる点は大いにあった。

しかし、私が1日のスケジュールを組もうなどそらまるが受け入れることは天地がひっくり返ってもないわけで、そして私は、10時から開始14時から開始とそらまる自身で考えて行動していることだけで、本当にすごい成長だと心から感じていた為、なにも不満はなかった。

母はどんな事態であろうと応援団長

しかし、1月10日を過ぎても、そらまるが持って帰ってくる過去問の数学は、どれもこれも20点台、30点台のまま。国語も然り。英語のみが安定していた。

学校を休み、甘いかもしれないが午前午後で4時間は自習しているのに、過去問の点数は上がらない。
この状況によって、私はじわじわとポカリスウェットなどの受験生CMすら精神を不安定にさせるほどになっていき、テレビも断った。

とにかく、私はそらまるだけを見ると決めた。そらまるだけを見て、そらまるの衣食住と過去問のコピーなどのサポートのみに務め、そして、そらまるの応援団長として君臨すると心に決めた。

そらまるの取ってきた20点台の過去問は、すぐに早田先生に画像で送り、早田先生へそらまるの情報を逐一送ること、志願所を書くことなど、そういうことに黙々と動いた。

そんな中、恩田先生から私を通してそらまるへの指令の連絡が入った。

私は私なりに

恩田先生は、またもや、そらまるの行動へのダメ出しを告げてこられた。

先に申しあげておきたいのは、ダメ出しという言い方をマイナスな意味に捉えないで頂きたい。これは、過去のいっぱいいっぱいになっていた私自身の受け止め方であり、恩田先生の言葉の全てはそらまるを想っての助言であったからだ。

しかし、当時いっぱいいっぱいだったそらまる応援団長は、自分とそらまるを支えることだけで精一杯で、もはや恩田先生の言葉をダメ出しと捉えていたのである。
それも全ては、ギリギリボーイにとっての受験という大きな荒波の中で、今にも沈みそうな一艘の小舟に我が子と乗っている、顔面蒼白な母のギリギリの精神状態であったということと、ご理解頂きたい。

さて、恩田先生は電話口で母にこう伝えてきた。

〇〇高校と(そらまるの1番受かりやすいMarch)国学院の
最新の過去問を明後日までに解かせてください。

本人にも伝えてあり「ハイ」と返事はしてましたが、多分やらないでしょう。
そらまる君は、早慶の過去問しか解きません。
彼には併願校なんて目にも入らないのでしょう。

もういい加減、併願校の過去問も解いて対策をさせないと!


この言葉を聞いた、今にも沈みそうな一艘の小舟に乗る応援団長はこう思った。

はああああああ。やだやだ…。またか。
だいぶ成長したと私は思っていたのに、すぐこうして相変わらずなことを言われ、
ポキっと折られる繰り返しだな…。


もちろん私は、その足で最新の過去問をコピーしに走り、そらまるに伝え、渡した。


しかし、そらまるはこのあと、とんでもないことをしでかしたのである。

毎度逆鱗にふれる親子

過去問を受け取ると、そらまるは2時間かけて、部屋で〇〇高校(そらまるが1番受かりやすいMarch)と国学院の過去問を解き、平和に事なきを得た・・・かと思いきや、事件は起きた。

〇〇高校の丸付けを始めたそらまるは、1問目の段階で「は??なんで??」という不穏な声をあげた。応援団長は嫌な予感がした…。

くそが!!!計算ミスったああああ!!!

そらまるは大激怒し、部屋で暴れ始めた。
そして、あろうことか、解いた2つの過去問をビリビリに破り、花吹雪のように部屋に撒いたのである。
多少の破きであれば、セロテープで張り付けることもできたが、もはや特殊捜査官でもなければ無理な状況であった。(特殊捜査官の仕事はよく知らんが)

これには、さすがの応援団長も怒った。外に聞こえてももう構わん、大絶叫した。
恩田先生に渡すのは今日である。その約束をしたのは母である。
どうしてくれるんだ!!!という怒りで、ただでさえいっぱいいっぱいである母は、冷静さを失っていた。

しかし、この旨を恩田先生に伝えねばならない。1時間後には早稲アカの授業なのである。
家の中で恩田先生に報告の電話などしたら、そらまるが「恩田先生に言うな!塾を休むぞ!」などと言い出すのが目に見えていたで、私は外にでて近くの公園で電話をかけた。

電話に出た恩田先生の声は、暗く冷たかった。

破り捨てた…?

そうですか。わかりました。
しかし、お母さん。

解けなかったから解かないでは済まないんですよ。


と言われた。

済まないんですよ?
と言われましてもそんなこたあ1億も承知なんですわ。
だけどね、中3の激しい系勉強嫌いの雑な男子の手に、無理矢理シャーペン握らせてタイマーかけて「ハイ!スタート!」ってやらせることなど不可能なんですわ。幼稚園児でもあるまいし。

私も、ついにイライラのピークに達した。
ただでさえ、早慶の過去問も伸びないうえに、この有様。もはや、投げやりの八つ当たりであった。

「そうですよね。
今まで本当に恩田先生方には成長を待ちながら手を尽くして頂いてきましたが
結局成長と言うより、恩田先生の仰る通り、これがそらまるで変わりませんでした。

ですので、もうここからは、本人のやりたいようにやらせようと思ってるんです。
元々、自分のやりたいようにしかやらない子なので、だから本命以外は解かないのも
それがそらまるなので、もう仕方ないと我が家は腹を括っております。

過去問を解いた今回の件は、一応お伝えさせて頂きましたが
恩田先生の方からは、本人には何も言わず、放っておいてください。」

そう伝えると、恩田先生の声色は、更に冷たい高温の青い炎と化した。

…いいんですか…?

私から何も言わなくても。

見て見ぬふりをするということで本当にいいんですか?

併願校の対策をしないということでいいと?

私は青く冷たいその声に、こう返した。

「はい。恩田先生にこの件が伝わっていると知ったら家で荒れると思いますし
今、自分なりに勉強してますから、波風など立たせて1日も無駄にしたくないんです。」

ワカリマシタ

両者、不満のまま電話を終えた。私は、寒空の公園で一人むせび泣いた。

大どんでん返し

しかし、このあと、過去問を持参せず塾に行ったそらまるに早田先生は「それじゃあ、そらまるは授業受けなくていいから別室で過去問解きなさい」と、素知らぬふりをしつつ、2校の過去問を解かせていたことを、後で知った。私にはもう、感謝しかなかった。

恩田先生…ありがとうございます…
1歩も引かず頑なになっている母に怒り心頭であったでしょうに、きちんと冷静に切り替え、そらまるの今後を1番に考えて併願校の解き直しに誘導してくださったのですね。



次の日、そらまるはとてもとても嬉しそうな表情で帰宅した。

僕が教室に入ったら、恩田先生がすぐに僕のところに来て「そらまる!やるじゃん!○○高校95点、国学院100点だったぞ!」って、めっちゃ褒められたWWWW

恩田先生の怒りは、そらまるを心から心配してのものであり、出来るということさえ分かれば、こうして純粋に心から喜んでくださるのだ。

そらまるが、〇〇高校の過去問1問目からミスをしてビリビリに破くほど怒り狂ったのは、恩田先生に「そらまるはやっぱり早慶受けろ!」と言って欲しかった、訂正してほしかったからだったのだと、このニヤニヤの止まらぬそらまるをみて気づいた。

それほどまでに、ずっと横で応援してくださってきた恩田先生からの早慶受験撤退宣告がだされたことは、そらまるの内なる心の中で非常に悔しいものであったのだろう。


彼は今からはもう変わらない、このまま戦うしかない、これがそらまるだ、こんな誰も言いたくないことを、いつもキッパリと告げてくださるのは、そらまるが早慶March全敗とうい悲しい結果になってほしくないというそらまるへの想いだ。
そして、「奇跡があるとするなら学院であり、慶應にそれはありません」この有難い助言もそれである。

3年間、ずっと心配し手を尽くしてくださった恩田先生であるのだから、母である私は重々理解している。


ただ、やはり最後は
生まれた時からずっとそらまるを見てきた母である私が決断する。


そらまる本人には、慶應義塾高校を受けないという選択肢はない、のである。

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