※この記事は、初回公開時の内容です。
書き直した改訂版はこちらです。
▶【塾高・留年】親はどう関わる?|
留年生のお母さんに声をかけたあの日【改訂版】
そらまるが2回目の1年生を無事乗り越え、
2年生へと進級したときのことです。
6月の保護者会が近づき、私はそらまるに
「2年生のクラスはどう?」と声をかけました。
すると
「1年のとき同じクラスだった白須(仮名)がいた」
と一言。
へえ~と一瞬流しそうになりましたが、ん?と思い、
「それって最初の?それとも2回目の?」と聞き返すと
「最初の」と言うのです。
「え!それって白須君が2年生で留年したってこと?」
驚いて聞き返すと、「うん」とだけ答え、
それ以上は何も言わず、リビングから去って行きました。
あの日、私は「声をかけよう」と決めた
私は、そらまるのクラス写真を見返し、
白須君を探してみました。
「この子かあ」と思ったのと同時に
「お母様はさぞかしショックを受けられただろうなあ」
と思いました。
そして私は決めました。
保護者会でお声がけしよう!と。
まず、1年生の時同じクラスであったこと、
その節はお互い面識もないままクラスは変わり、
今回同じクラスになったこと。
そのご縁をきっかけに、
ご挨拶だけでもしたいと思いました。
そして、なにより、
もしかしたら、留年した現実の中、
苦しい気持ちで保護者会に参加されているかもしれない。
少しでもお話しすることで、
不安や孤独が軽くなってもらえるのでは———
そう思ったからです。
もちろん、
「そっとしておいてほしい」
そんな雰囲気を感じたら、
ご挨拶だけして立ち去ろうとも考えていました。
保護者会当日 なかなか現れなかったお母さん
当日、私は、
「白須さんにご挨拶する!」と
意気揚々と教室へ向かいました。
教室のドアに貼ってある座席表を見て、
白須さんの席を確認しました。
(ちょっと怖いですよね笑)
そして、
そらまるの席に着いて白須さんの席を見ると、
まだいらっしゃっていませんでした。
時間となり保護者会が始まりました。
5分、10分…白須君の席は空席のままです。
15分、20分と過ぎる頃には、
「今日は欠席なのかもしれないな」
と感じ始めていました。。
30分ほど経って、
すっかりあきらめていたそのとき、
後ろのドアから一人のお母様が入ってきました。
その方が座ったのは———
白須君の席でした!
「来てくれた!」と机の下でガッツポーズ、
まではしてませんが(笑)
とても嬉しかったのを覚えています。
同じ経験をした母同士の はじめての挨拶
保護者会が終わると、
先生にご挨拶や聞きたいことがあり並ぶ人。
並ばずにそのまま帰っていく人。
知り合い同士で話す人。
私は、面談の呼び出しがなければ
並ばずにすーっと帰る派でしたが、
この日は素早く白須さんの席へ直行しました。
「白須クンのお母様ですか?」
と声をかけると、
白須さんは驚いた表情で振り向きました。
「はじめまして、そらまるの母です。
白須君とは1年生の時同じクラスだったと
息子から聞きまして、ご挨拶させて頂きたくて。
いつもお世話になっております。」
「そうでしたか!
息子はなにも話さないので、
こちらからご挨拶もせず失礼しました!」
「そらまるは、
1年の時留年となりまして、
そして今回2年生に無事に進級したんです。
今回、白須君と同じクラスだと聞いて、
ぜひご挨拶したいなと思ってたんです」
と直球で伝えてみました。
すると白須さんの顔が一気に緩み、
慌ててスマホを取り出すと
「あの!ご連絡先を
交換して頂いてもよろしいですか?」
と言ってくれたのです。
「ぜひぜひ!」
そして、二人でLINEの交換をしながら
いろいろ話しました。
「白須君、この度は大変でしたね。
お母さんもお辛かったですよね」
この言葉は、
通常に進級している人からは
なかなか掛けにくい言葉であると思いますが、
同じ経験を先にしている私だからこそ、
自然に言えるものでした。
白須さんは
「ありがとうございます。
そらまる君、すごいです!
進級おめでとうございます!」
と言って下さいました。
「白須さん、
このあとってなにかご予定ありますか?
もしよければお茶でもしていきませんか?」
と声をかけてみると
「行きます!!!」と即答してくださり
「でも、保護者面談がこのあとあるので、
待っててもらっても大丈夫ですか?」
ということで、30分ほど廊下で待っていました。
留年生は、中間の結果関係なく、
先生が保護者と色々話しておきたいことがあるため
面談リストに入ることがよくあります。
教室から出てきた白須さんは、
泣いていました。
ハンカチで真っ赤な目を抑えながら、
しばらく何も話せないほどでした。
私は
「大丈夫ですか?歩きながら落ち着きましょう」
と声をかけて、
二人で銀杏並木を駅に向かい歩いたのです。
「1年後、笑っていられるんですね」その一言が生まれたランチ
歩いているうちに、白須さんは少しずつ落ち着き、
お互いの自己紹介をしました。
白須君は中学からの内部生で、
中学のときから、これまでずっと、
成績はギリギリだったそうです。
高校への進学も
本当に大変だったのだと
話してくれました。
そして、ついに今回
留年という結果になったということでした。
この春休みの間、
本人は気落ちし、日中もカーテンをあけず、
真っ暗な部屋で過ごしていた姿に、
勉強面だけでなく、精神面もとても心配だと
それを先生に伝えてきたのだと話していました。
白須さんは、
ランチの間も何度も泣いていました。
なぜ保護者会に30分も遅れて来たのか、
それはどうしても教室に入れなかったのだそうです。
ふらふらと階段を上がったり下がったり、
廊下をあてもなく歩いたりしていたそうです。
「来てくれて本当に良かったです!
私は、数日前から、
白須さんに絶対ご挨拶すると決めていて、
もしお父様が来た場合でも事情を話して
「お母さまによろしくお伝えください」
と伝えようとまで考えてたんですよ(笑)
30分経ってもいらっしゃなかったので
欠席かなとガッカリしていたんですから(笑)」
そう話すと、
嬉しい、ありがとうございますと言いながら、
また涙を流されていました。
私は、
そらまるがなぜ留年に至ったか、
その後の1年はどのように勉強に取り組むようになったか、
母としてどのような気持ちを軸に向き合っていたか
などを話しました。
すると、白須さんが言いました。
「テレサさんは
なぜそんなに明るいんですか?」
「え?そうですか?」
「はい!
テレサさんを見ていたら、
大丈夫なんだっていう気持ちになってきました!
1年後、
こんなに明るくいられるんだって!
私、もう絶望しかなくて、
今日保護者会に行きたくなくて、
でも、なんとか来たんです。
まさか、帰りにこんな風に
誰かと笑いながらお茶してるなんて
予想もしていなかった!
1年後、私もそんな風に
笑っていられるかもしれないんですね。
希望が湧いてきました!」
「そうですよ!
絶望の1年なんかじゃないですから!」
そう言って二人で笑いました。
「高校生は自走して当然」という考え方
白須さんは、こうお話しされました。
「中学生までは、
私が勉強面のサポートをしてきました。
でも、高校生になったら自分で管理をして
1人で取り組むべきだと本人に話し、
手を離したんです。
でも、1年の時から成績が悪くて、
ギリギリで進級しました。
2年生では、更に成績が下がって、
結果こうなりました。
これは自業自得だよねって
本人にも言いました!
だって、分からないところがあるんだったら
友達に聞くなり、先生に聞きに行くなり
自分で行動するべきじゃないですか!
大学受験があるわけでもないのに
塾に通うなんてありえませんし!
私が高校生の時、
当たり前に自分で頑張っていましたし、
親に頼ったりなんてしませんでした!
今年度も同じように成績が取れなくて、
それで退学ならもう仕方ないよねって
本人に伝えてあります!」
この時の白須さんの表情は、
怒りと失望に満ち溢れていました。
成長のタイミングは みんな同じではない
この白須さんの言葉は、
最初の1年生の時、担任に言われたことと
まるで同じ意見でした。
まさにこれこそが
一般論なのでしょう。
なぜなら
高校生になったら自走できなければならない。
今できるようにならなければ、大学で大変なことになる。
大学に行ったら、塾で教えてもらうなどできないのだから。
担任だけでなく、
あらゆる教育ブログや子育てブログなどでも
よく言われている言葉だったからです。
でも私は、
これとは真逆の考えです。
高校生になったらと言いますが、
成長ってひとりひとり違うのに
なぜ「高校生になったら」とひとくくりにできるのでしょうか?
私には理解できませんでした。
これは、
中学生になったら、小学生になったらなど全てにおいてです。
子供は、
ひとりひとり全く違う個性を持ち、成長度合いも違います。
それなのになぜ
「高校生になったら」と、ひとくくりにできるのでしょうか?
中学生の時から少しずつ、
そして高校生になってしっかりと
自走できるようになる
という理想的な成長をする子もいます。
しかし、そうじゃない子もいるのです。
そうじゃない子に
同じ基準を押し付けても無理が生じます。
子どもの精神面が荒れ、家庭内も荒れるのです。
なぜ、高校生になった途端、
突然自走できなければいけないのでしょうか?
まだ自走できなくて困っている我が子の
「困っている部分、苦手な部分」に
なぜサポートをしてはいけないのでしょうか?
大学生になったら大変なことになるから?
はたしてそう一概に言えるものでしょうか?
大学生になる頃までに、成長します。
今と同じではありません。
その頃には
「今はまだできないこと」が
出来るようになっているかもしれません。
今、サポートするのは甘やかしである、
サポートされなければなにもできない、
そんな大人になってしまう
と言われる方もいますが、
私は甘やかしだとは思いません。
サポートされなければ何もできない大人になる
とも思いません。
白須さんにそう話すと、
「目から鱗でした…
本当にそうですね。息子は息子ですよね…」
そこから白須さんは、
「一般的な基準」ではなく
「白須君自身」と向き合い始めました。
関わり方を変えたことで 未来は変わった
そらまるは、
友達や先輩と情報を共有しながら、
一緒に勉強したり、先生に質問したり、
これらを全くしませんでした。
塾高のテスト対策にはそれらが必要なのだと
担任が何度も伝えてくださいましたが、
頑なにしませんでした。
そこで、2回目の1年生の時、
我が家は家庭教師の先生にお願いし、
テストへ向けての取り組み方を教えてもらいました。
家庭教師の先生は、そらまるにこう仰いました。
「どうしても友達や先輩と情報を共有したり
一緒に勉強したり、先生に質問したり
それをしたくないならそれでいいんだよ。
そらまる君が誰も頼らず
1人でできるようになればいい
それだけの話しなんだから。」
家庭教師の先生は、
頑なに勉強の仕方を変えないそらまるに対し
否定せず、そのまま受け入れた上でどうすれば伸ばせるか
という視点で関わった下さいました。
当時のそらまるにとって
「一人でやりたい、それでできる」
というのは、単なる頑固さではなかったのだと
今なら分かります。
なぜなら、幼稚園、小学生、中学生と
それは、ずっと、そらまるの在り方でした。
友だちと一緒に勉強はしない、
基本は先生に頼りたくない、
親が横に居る、親と一緒に勉強する
などは断固拒否で、1度もありません。
これは、本人なりの譲れない感覚、
もはや信念に近いものだったのだと思います。
家庭教師の先生は、その感覚をすぐに察し、
それでもできるようになる道を示してくれました。
その結果、
そらまるは授業内容を深く理解する力を身につけ、
2年生からは1人で自走できるようになりました。
そして現在、そらまるは大学〇年生です。
そらまるは、今も一人で勉強しながら自走しているでしょうか。
いいえ。
「今のそらまる」は
クラスメイト達と情報を共有し、
LINE通話などで一緒に勉強している姿なども見かけます。
そして
1人でもくもくと勉強している姿も見かけます。
これが、高校生の頃から
スムーズにできる子もいますし、
そらまるのようにできない子もいます。
「あの頃のそらまる」には
どうしても受け入れられなかった。
ただそれだけです。
このように、そらまるは、
家庭教師というサポートを受けましたが、
その後、一人では何もできない大学生にはなっていません。
そして、白須さんも、あの日から、
「高校生になったのだから」という呪縛が解かれ、
白須君に必要なとき、必要なサポートをし、
白須君も晴れて、第1志望の学部へと進学しました。
私と白須さんは、
常に息子の成長の喜びを共有しながら、
2年生、3年生と過ごしました。
息子のおかげで、私達は母として成長し、
喜びと感謝を感じながら高校生活を見守ることができました。
このように私は、他の留年生のお母様とも
知り合う機会を得て、
喜びを共有したり、時には不安を支えあったり、
しかしほとんどは、
一緒に笑いあう時間が多く、
運動会に一緒に応援に行ったり、文化祭に行ったり、
食事に行ったりと、楽しい高校生活を過ごしました。


