見守るとは、親が”心配”から卒業すること|息子の「しない宣言」が教えてくれたこと

見守るとは、親が”心配”から卒業すること|息子の「しない宣言」が教えてくれたこと

高1

「お子さんを見守ってあげてください」これは、受験や子育ての場面で、よく”お母さんが先生に言われる言葉” ではないでしょうか。

私は、ずっと、
”見守るとは、口をださないこと”
だと思っていました。

でも、息子の留年を経験し、
私がたどり着いた「見守る」の答えは、
それではありませんでした。

私は、危険な”予備軍”となっていた

以前の私は、
とにかくそらまるが心配で仕方なかった。

いつも、
そらまるの動きにアンテナを張っていた。

そして、
転ばぬ先の杖をサっと出す。

そらまるの2手も3手も先を読み、
俊敏に動く。

息子の先回りばかりする母。

気づけば、私は…

いつかどこかで見た、

「ささやき女将」

その予備軍になっていった…。

「しない宣言」ばかりしてくるそらまる

そらまるの夏休みは、
夢のような毎日だった。

「ひたすら遊び、日々ノー勉

担任との2者面談では、
テスト3週間前から個別塾に通う
と、伝えてきたそらまるだったが、

その舌の根も乾かぬ次の日、
こう宣言した。

夏休み中は、1秒も勉強しない。
個別も絶対行かない

この「〇〇しない宣言」は、
そらまるから、よく出されるものだった。

〇〇する」ではなく「しない」のだ。

小学生の時。
僕、日本地図、暗記しないから

中学の時。
僕、早稲アカの夏季合宿行かないから

高校の時。
僕、偉人の言葉、覚えないから
👉一言一句、
間違えずに覚える必要ってなに?
意味を理解してればいいだけだ
と思う。
※先生がテストに出すと言ってもこの発言…。

これ以外にも、
数々の「しない宣言」をしてきた。

そんなもん、
いちいちママに宣言しないで、
黙って勝手に自分でやってくれ!!

世界一、聞きたくない宣言だ。

めちゃくちゃ嫌な気持ちになる。

どうして、わざわざ、
ひと文句言われてしまいそうな
そんな宣言をするわけ?

これはなんなのかーー

何も言わない父。
うるさいだけで怖さに欠ける母。

そらまるにとって、
勉強しないことを、
誰に怒られるでもない環境なのに。

それなのに、なぜ、
夏休み、1秒も勉強しないから
と宣言を出す?

宣言などしなくても
誰一人、詰め寄る者はいないというのに。

言葉に出さなくても、思いは空気中から伝わっていた

私は、1つの仮設をたてた。

つまり、こういうことだ。

私が、言葉に出していなくても、

母からの心配や、
勉強して欲しいという思いが
リビングから飛んでいるのである。

それが、
部屋にいるそらまるに、
ひしひしと伝わっているのである。

それをぶった切るために、
宣言しているのである。

かもしれないのである。

なぜなら、

そらまるのことを、
心配していないスナフキンパパには、

この宣言が
発動されたことが一度もないからだ。

そして、それは、
やはりそうだった。

そらまるの留年後、

そらまるなら、どう転ぼうが大丈夫。
道は1つではない

私自身、そう考えられるようになった。

必要のない心配を一切しなくなった。

すると、

不思議でもあり、
そして、
実は当前でもあるのだが、

そらまるの「しない宣言」が、
私の前からも、消えたのである。

消えただけではない。

〇〇学部に行きたい
もし〇〇するときは、協力してほしい

という「する宣言」に変わっていったのだ。

高2のはじめ、そらまるが
僕は、〇〇学部に行きたい
と言ってきた。

もちろん、進級できなければ、
そこに辿り着けない。

進級するためには、
定期テストだ。

そらまるは、自ら、
定期テスト対策をするようになった。

そらまるが、ついに、
全てを自分事に捉えはじめたのが、
ここからだった。

ノー勉からの卒業だった。

「見守る」とは、親が「心配」から卒業すること

「親は見守ることが大事」

そんなことは
分かり切っていた。

見守るとは、

余計なことを言わないこと。
勉強面に口を出さないこと。

そう思っていた。

だから、
必死で口を掌で覆っていた。

もう我慢ならん!となると、
枕に顔をうずめて叫んでいたし、

家にいることが耐えられず、
車の中で、何時間も過ごしたことも
数知れない。

とにかく、
口を出さないことに必死だった。

こんな状態が、

見守っていたなどと、言えるわけはない。

では、

見守るとは一体、なにか。

私のたどり着いた答えは、これだった。

心配せず、
本人に任せること

口を出してしまわないように、
耐えることではなく、

君なら大丈夫

そう”心から思えている状態”
なのではないだろうか。

我が子がどうであっても受け入れること

では「君なら大丈夫」とは?

「君なら、定期テストを頑張れる」
「君なら、きっと進級できる」

ではない。

たとえ、
定期テストにやる気が起きなくても。

たとえ、
この場所では頑張れなくても。

本当にやりたいことが見つかれば
君なら、大丈夫

どんな場所であっても、
君なら、大丈夫

である。

我が子がどうであっても
あなたなら大丈夫と
親が受け入れることである。


綺麗ごとに聞こえるかもしれない。

でも、
ここに到達できたのは、
どうしても事実なのだ。

人は、大きな挫折を経験すると、
変わるという。

我が子の留年を経験したとき、
私は、捉え方が大きく変化した。

もし、

ギリギリで進級していたら、
私は、ここには
絶対に辿り着けていなかった。

私は、
そらまるに、どれほど
成長させてもらえているだろう。

そらまるよ、ありがとう(笑)

本当に、我が子に感謝しかない。

そして、もう一つ。

私に変化が起きてから、
家庭内の空気が変わっていく。

今までは、
口を掌でぐっと覆いながら、

部屋に籠るそらまるが
勉強してるのか、ゲームしてるのか

リビングで耳をダンボにし、
五感を研ぎ澄ませていた私だったが、

一切、気にならなくなった。

そうなると、
私のそらまるへの言葉や態度が
変化していくのは、当然である。

すると、

驚くほど、すぐに、
そらまるの言動にも変化が起きた。

母を「一切無視」から、
聞かれたことに、
返事をするようになった。
当たり前すぎるけど(笑)

そのうち、
自分のほうから質問してきたりなんかして。
当たり前すぎるけど(笑)

我が家に、
軽い会話が戻り始めたのであった。

やはり、私の仮説は立証された。

言葉に出さないようにしていても、
”母の思い”というものは、

子どもにしっかり届いている。

それはーー

心配であっても、信頼であっても。

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