問題を解き終えたら、まず丸付けしますよね?だって、そこは普通にセットであって、そんなこと誰に言われずとも当たり前ですよね?
しかし、ここに、大きく「待った」が入る。
問題だけ解いて丸付せず終了という選択を取る者もいるのである。問題を解いたら丸付けをするという、40数年生きてきた中での私の当たり前は、決して万人の当たり前ではないということを、またしてもそらまるを通じて知ることとなる。
定期テスト対策は土日が勝負
難チャレは、12月のあたまの日曜日が試験であった。前日の土曜、中学の友達と朝から自転車で、遠くの文化センターなるものに出かけ、夕方帰宅したそらまるは、スナフキンパパと二人でスシローで爆食いし、そして、ゲームをし、勉強せず、寝たそうだ。(友人と飲みに出かけていた私は、スナフキンパパより、以上の報告を受ける)
日曜、難チャレ当日は、ギリギリまで寝て8時に家を飛び出す。(8時半からテスト)
難チャレが12時に終わり、帰宅してからもゲームをしているそらまるは、こんなにのんびり過ごしているが、実は3日後に中学校の中間テストを控えた身である。
私とスナフキンパパで「中間テストの勉強しなさい」と伝えると「今日はしないよ。テストを受けてきた日は、勉強しないと決めてるから」と言った。これも、そらまるのよく言う「疲れているときにやっても集中力が持たない、集中力のないときに勉強するのは、マジで時間の無駄使い」という理由である。
「テストとは、ママが思うような生易しいものじゃない。全神経を集中するから、力を全部使い切り、家で勉強する余力なんてないんだよ」だそうだ。
のちに「楽な方に逃げようとするそらまる君の言い訳ですね。いちいち反応しないでください。」と恩田先生にバッサリ切って捨てられる。
このように、そらまるは、テスト前の土日を一切活用しないという残念過ぎる行動で、親や先生を悩ませていたのである。これこそが、そらまるが定期テストを取れない最大の敗因だったと言っても過言ではなかった。
そろばんをはじく
結局、そらまるが中間テスト対策に取り組んだのは、テスト前日であった。
定期テスト1日目が、数学、国語、社会だったことで、そらまるのそろばんは「社会だけ対策すればいいから、前日だけでいい」とはじかれたのだ。
というわけで、前夜、社会のみに3時間程度、取り組んでいた。
そらまるは、中学生活において、英語、数学は定期テスト対策したことが1度もない。国語も漢字だけ一応、目で見て覚える法(自己流)にて、寝る前にサーッと眺めておしまいな為、これが対策と言えるかも分からないが。
この3教科は早稲アカで授業を受けているから、やる必要がないという理由だったが、早稲アカは各自の中学校のテスト対策はしない為、この理由は全く通らないのであるが、頑なに押し通していた。
定期テスト2日目は理科、英語、美術である。そらまるそろばんは「理科だけ対策する」とはじかれた。理科のテスト範囲は、両面プリントで7枚であった。けっこうな量である。これを半日程度で終わらせるとはじきだすポンコツそろばんである。
しかし、そらまるは半日どころか、2時間ほどで部屋から出てきてゲームを開始しようとするではないか!
「終わった」というのだ。そんなことがあろうか。「終わった」とは、完璧と言えるまで対策ができたことを指すのではないのか?2時間で、完璧に終わったなんて、そらまるは理科の天才だったのか?
丸付けせずして対策ならず
私は、間違えた問題は解き直したのか?そして、間違えた問題が正解になるまで繰り返しやれたのか?と聞くと「はいはい。終わったから出てきたよ。ゲームやらせて」と答えた。
ゲームを渡す前に、そらまるの部屋に確認しに行った。すると、両面プリント7枚は全て解いた状態ではあった。がしかし、1問も丸付けがされていない状態なのだ。これは、どういうことだ?なにが「終わった」というのだ?
私は、答えを見ながら丸付けをしてみた。不正解がどんどん出てくる。これじゃあ、解いただけだ。解いただけって、なんの意味がある?丸付けをするからこそ、どこが正解でどこが不正解かが分かるわけで、これは万人の当たり前ではなかったのか?
「とりあえず、丸付けしといたから、間違えてる問題を解説読んで解き直しなさい」
「やだ」
「解いただけじゃ、なんの対策にもなってないから。」
「やだ。解いた後、分からないやつの解説は読んだ。だからもう解き直さない」
「自分では出来てると思っている問題だって、丸付けしたら間違えてるかもしれないんだからさ。とにかく、丸付けしたから、出来てない問題はハッキリしたんだし、もう1度やり直しなさい」
と、母はここまで、至極当然のことしか言っていないと思うのだが、そらまるはこう言い返してきた。
「は?ふざけんな。口出しすんな。」
ここで、ついに、堪えに堪え、溜めに溜めていた私の怒りのダムが決壊したのであった。大絶叫しながら、この土日も勉強しなかったこと、ゲームばかりしていることをまくしたてた。
嘲笑いVS通報
そらまるは、大絶叫する私を見て、「プッ。あ、ごめん、笑ってない笑ってない…プププッ。とりあえず、絶対やらないから!」と笑った。
反抗期の地蔵ステージ以後、怒りに対し怒りで返すという単純な攻撃ではなく、こちらの怒りを煽る「嘲笑い」という手法を使うまでに、反抗ステージは進化していたそらまるであった。
そうかい、そうくるなら、こちらも、使わせてもらおうじゃないか!
伝家の宝刀!必殺、早稲アカに通報!!
この通報電話にでたのは、英語担当の先生だった。英語が得意のそらまるがこの先生に補習などでお世話になることはなかったし、だからこそ、この先生に怒られるようなことはないと思っていたのだが
「まだそんなことしてるんですか!実は、先週も私はそらまる君に本気で怒ったんですよ!選抜テストを落とすなんてあり得ないよなと!それから1週間もしないうちにまたこんなことしてるんですね!
理科のプリント持って、早めに来させてください!
今日はCT(毎月のテスト)受けさせない!自習室で理科の対策してろと言いますから!」
地蔵ステージの嘲笑い手法を使っていたそらまるにそのまま伝えると、泣いて怒って
「もう早稲アカ辞める!絶対もう行かないからな!自習室なんか行かない!部屋でやるからな!」
と言って、やっと部屋で解き直しを始めた。地蔵ステージも、まだまだまだその程度だ。
そして1時間後、そらまるは部屋から出てきて
「早めに来いって言ってたんでしょ?理科のプリント持って行かなきゃだめ?
はーーやだなー。CT受けたい。はーーまた怒られる。やだなー。」
と言いながら、とぼとぼと出かけて行った。辞めるつもりはないことを確認できた出来事ではあった。
現実逃避
つまりこういうことだ。
丸付けをすると、ミスが明確化される。そして明確化された以上、それは解き直さなければならない。
だからこそ、そこはぼんやりさせておきたいのだ。分からなかったと自分の中でハッキリしてる問題のみの解説を読んで「終わった」と自分に都合よく解釈しているのだ。現実逃避である。
つまり、解き直しが大嫌いなのだ。そらまるにとっては、ため息しか出ない作業なのだ。それをするには、自分にとてつもなく大きな勢いをつけなければいけないほど、心底嫌な作業なのだ。
男子には多いそうだが、そらまるはまさにそれで、小学生の時の塾の先生にもよく指摘されていたのが、初めての問題を解くのは好きだが、1度解いた問題をもう1度解くという作業がほんとに嫌いなのだ。
この丸付け問題、名付けて「現実から目を逸らし丸付けから逃げる」は、中2の半ばまで続いた。先生達が粘り強く「丸付けまでして来い」と言い続けてくださったことにより、中2の半ばから「そらまる君、最近丸付けするよになりました!」になっていくのである。
そんなことに目を背けたところでどうにもならないことでも、背けてしまうのがまだ中学生の幼さであり、これも成長を待つしかないものの1つであった。
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