我が子が留年したら~我が家の場合~ - ポジノー勉〜ポジティブ・ノー勉~

我が子が留年したら~我が家の場合~

テレサの部屋

3月第2週、進級できない者への連絡がきます。(3年生は2月第2週)
我が子がこの1年成績不振だった場合、まさに今、電話が鳴るか鳴らないか心臓の止まる想いで1日1日を過ごされているご家庭があるのです。

3月の第2週と書いたのは、ハッキリとした日程は伝えられず「3月に入って2週間以内には連絡がいきます」とだけ伝えられるからです。
2週間以内とは言われていましたが、そらまるが高校に在籍中の4年間は第2週に連絡がきていました。

私の知る限りでは、連絡が第2週の月曜にきた者、火曜、木曜、そして金曜にきた者とそれぞれでした。このタイムラグは、審議の余地の度合いによるものではないかと私は思っています。(あくまでも私の見解です)

第2週の月曜に成績が決定し、次の日に進級会議があるのではないかと思われます。
そらまるの場合ですが、担任より月曜の朝9時に連絡が入り「本日成績が出ました。そらまる君の成績はホニャララに届いておりませんので、明日の進級会議で覆ることはないため早めにご連絡しました。明日の会議で決定とされますので又明日、ご連絡をします」と言われたからです。

そして留年の連絡は、この週の金曜がラストだと思われます。なぜなら、不安な生徒が金曜の夜に担任へ問い合わせた際「今日連絡がこなかったならもう進級確定だ」という言葉を頂いたからです。この情報が生徒間にまたたくまに流れ、そしてお母さん達を伝って私の元へも入ってきました。
※これはあくまで、そらまるが高校在籍中の情報です。


ホニャララとした部分ですが、これは審議にかかるかどうかの最低ラインの成績です。まずは、そこに届くことで審議にはかけてもらえるわけです。(かかったからと言って進級できるかは分からない)
しかし、ここに数字をハッキリ載せてしまうと、それがどこからか伝わり「ギリそのくらいあれば留年しないんだ」という間違った認識を持って過ごしてしまう生徒がでてきてしまう恐れがあるため、ここには記載しないこととしました。

子供間での情報とは、本当に怖いものです。

留年に至る子というのは、楽観的なことが多く、親や先生からの信頼度の高い情報よりも子供間での「ナニソレ!どこ情報だよ!」という甘い甘い情報のほうを信じて行動しがちなのです。自分にとって都合の良い捉え方をしまくって生きているのです。(そらまる)

それは本当の怖いものなので、こうして伏せさせて頂きます…。

留年が確定したら

担任より、留年を選択するのか他校へ編入するのかを伝えに行く場を設けられます。次の日でお願いすると1番手に組まれ、私とそらまるは朝9時に担任の元へ出向き、そこで留年の意思を伝えました。すると担任は

お母さんの前で言いにくいかもしれないが、君の本心を先生に聞かせてください。君はどうしてもこの高校に通いたいという意思がありますか?別にここでなくてもいいというのであっても、それは君のの意思であるので、今聞かせて下さい。

これは非常に大事なことだからです。

次の1年も今回と同じように意欲もなく過ごしたら、確実にまた成績は取れず次は退学になります。そうなるとあなたは、他校へ2年遅れて1年生として通うことになるのです。
でも今、他校への編入を選択すれば、あなたはそのまま2年生として通うことができます
(成績にDが付いていなかったため全ての教科が履修済みとされ、編入するのであれば普通に2年生として通うことになる)

ここまで聞いて、君の意思はどう?



留年の選択を、親主導で決められている場合が余程多いのでしょう。

意欲の消えている我が子に、なんとしてでもここを卒業させたいと親が留年を選択させ、そして次の1年も意欲のない状態で過ごしたことで結果的に退学となるケースをいままで多く見てきた担任だからこそ、そらまるの意思を聞き出そうとして下さっているのが理解できました。

そらまるはまっすぐ担任をみて「ここがいいです。留年します」と答えました。
担任は、「よし!じゃあやるべきことは分かってるね?この春休みは来季に向けて予習復習に取り組んでください。そうだ!帰りにもう売店で教科書を買って帰りなさい。そして今日から取り組みなさい」と応援してくださいました。

教室から出ると、2組の沈んだ様子のお母さんとお子さんがそれぞれ離れた場所で順番を待っていました。比較的ドアの近くにいたお母さんと私は、お互い目を伏せ顔を見ないようにしながらお辞儀をしました。

そらまるも含めその2人の男の子も、すでにお母さんが見上げる程背丈が伸び体だけは成長していましたが、二人とも「話しかけんなよ」という理不尽にも不機嫌なオーラでお母さんに背を向け、その背中を悲し気に見つめるお母さん達の姿をみました。

母親とういうものは、我が子にどんな理不尽な態度を取られようとこうして最後まで見捨てないのです。どんなに苦しくても見捨てることなどできないのです。
そして、留年に至るこの1年は我が子の成績不振によって、ご両親がどれだけ心配と不安と絶望の中にいたのだろうと理解できました。

しかし、これは親だけではないのです。子供だって不安と絶望の中にいたのです。口に出す出さないはそれぞれですが、自分の成績になにも感じないでいたわけはないのです。「留年」という文字が常に頭の片隅にジッと張り付き、見ないようにしていてもやはり不安の中にいたはずなのです。

じゃあ勉強しろよなんて、簡単に言わないでほしい。

そんなこと分かっている、でも簡単にできないのも人間なのです。精神がどうしても追い付かないことだってあるのです。


そらまるですが、来季に向けて頑張るという約束を真っすぐな瞳で担任と誓ったその足は、教科書を買うための売店には寄らず映画館に寄っていました。
相変わらず通常運転のそらまるです。しかしそれを見たままにふざけた行動だと受け取るべきではないのです。

そらまるは心の回復を図っているのだなと私は思いました。そして黙って映画館の前で降ろしました。

そらまるは留年と聞いた瞬間「マジか」と言ったのみで、その後は何も言いませんでした。嫌だとも悲しいとも辞めるともふざけんなともとにかくなにも言わず、泣くでも怒るでも悲しむでも引きこもるでもなく、変わらず淡々としていました。

それを見たままに「なんの反省もない」「よく平気でいるな」「なにも考えてないのか」と私は捉えませんでした。留年と聞いて、なにも思ってないわけがないのです。

心には大きな衝撃を受けています。それを外に見せるか見せないかそれは人それぞれなだけで、私達は我が子の発した言葉や態度や行動を、見たままで解釈するべきではないのです。
子供だって人間なのです。単純ではないのです。

わが家が決めた方針

留年は確かに、親としてとても辛く悲しく衝撃的なことでした。でも、もう留年が決まった以上、落ち込んでいても本当に仕方ないのです。

私は、1人リビングで20分号泣し40分ぼーーっとくうを見つめたあと、心がひと段落付きました。そしてこう考えました。

同じ1年なら、責めて監視する1年でなく、明るく楽しく応援する1年でいこう!

仕事から帰宅したスナフキンパパも、これと同意見でした。

そらまるは反省してるよ。いつもなら俺が帰ってきたらすぐ部屋に行くのに、ずっとリビングでテレビを見ていたのがその証拠。あの背中に反省の色が見えた。だからこれ以上、留年の話はしなくていいからね」

スナフキンパパはパパなりに、このようにそらまるの心を汲み取っていました。

私達の意見は一致し、この1年は通常運転で留年したから○○はしない、留年したから○○はさせないというような制限はせず、恒例の夏の家族旅行も決行しよう!とすでに夏休みのことまで決めていました笑

お風呂から上がってきたそらまるに「そらまる!パパとママは応援一択だからね!家族一致団結して前向いて行こうー!」と明るく背中をポンっとたたき、そらまるはこれにも何も言いませんでした笑

こうして、我が家は留年についての話し合いは特になく終了しました。話し合いは全くなくとも、留年を心底受け入れ、親としての方針も固まり、そしてそらまる(の背中)は反省していた、これ以上何が必要でしょうか。

まったく能天気なように感じられるかもしれませんが、これは今後3年間ブレることのない我が家の強い方針となりました。

そしてこの一見能天気に見える方針こそが、そらまるが自分で考え、自分のやりたいことを自由に選択し、何にも縛られることなく進んでいくバックグラウンドとなっていったのだと自負しています。

応援とは

では、応援するとはどういうことか?

留年が確定したとき、まず親がそれを受け入れ覚悟を決めることだと思います。どんな状況であっても応援すると覚悟を決めることです。そして応援するとは、責めないことです。


子供は、まだまだ大変未熟なのです。親としては「あれだけ言ったのに勉強に力を入れず、そして案の定留年した」と思うかもしれませんが、子供はここで初めて気づくのです。それほどにまだ未熟であり、人生を学んでいるときなのです。


とはいえ、留年したのには理由があるのです。責めずにまず、なぜ留年に至ったかを冷静に聞き出すことです。その理由に対し一緒に考えることです。どうしたら改善するのかを。

そらまるを含め、他の留年したお友達を見て私が感じたことは、留年に至るのは全ての教科で成績が取れていないという状況であり、全ての教科が取れないということは「特殊なテスト対策の勉強の仕方自体が分からない」ということです。

分からない中で、もはやどうすることも出来なくなっているのです。優秀な友達と一緒にテスト内容を予想しながら対策したり、先生に直接質問に行ったり、そういったことができる子であれば問題はありませんし、そのようにしなさいと担任から言われています。

でも、それができる子もいれば、出来ない子もいるのです。

私は「特殊であり、大学レベルの問題を出す塾校のテスト対策の勉強の仕方を学ぶ」そこがそらまるに今必要なサポートなのではないかと思いました。そこを誰かに学べば自走できるようになるのではないかと。

そんなことは自分でなんとかするべきだ!高校生になっても自走できないなんて大学に行ってから大変なことになる!いつまでもサポートされていたら何もできない大人になる!」

私達は子育てをするうえで常にこういったことを言われてきた為、そこを非常に重要視されている方が多いことも理解しています。


でも私はどうしてもそうは思えないんですよね。
高校生だからってすでに出来る子もいればまだ出来ない子だっている
そんなものはひとりひとり当たり前に違います。

なぜ今できないと将来なにもできない人間になると決まっているのでしょうか?
そんなに厳しく律しなくても大丈夫なものです。今できなくても、そのうちいつの間にやらできるようになっているものです。
もちろん、大人になった今でもできないままのものだってあります。それで良いではないですか(笑)

そらまるは、2度目の1年生の1年間「特殊で、大学レベルである塾高の定期テスト対策の勉強の仕方」を家庭教師の先生に週2回サポートして頂きました。
2年生に進級すると自ら「勉強の仕方分かったから辞める。」と言ってきました。「えー!まだ続けていいよ!」と心配で言う私にきっぱりと「もう1人でできるから。今月いっぱいで辞める」と言って辞めてしまいました。

そして、その後の2年間は自走しました。ずっと良い成績というわけではありませんでしたが「今回中間がやばかったから期末で取り返す」という、自分の中で勉強への調整ができるようになっていました。

調整とは、勉強を開始する時期を数週間早めたり、その期間は自らゲームも止めていました。こんなことを誰に言われずともできるまでに成長していたのです。

私はこれを、心の安定による効果だと考えています。人間は心が安定していると前向きになり視野が広がる、その中であれこれ考えるうちに自分のやりたいことを見つけだし目標が定まる、あとはもうそこに向けて動き出します。

全ては心の安定の元、私はそう信じています。

留年とは、その子にとって経験と成長という大きな財産になります。そこに必要不可欠なのが子供の心の安定であり、それには親の心構えが必要なことに間違いはないのです。

最後に【我が子が留年となった方へ】

大丈夫です。乗り越えられます。明るく支えてあげてください。そして、本人が必要であるなら塾や家庭教師などのサポートを頼んでも構わないのです(実はけっこう頼ってる生徒多いです)
そんなに思いつめなくても大丈夫です。3月は親子共に心を休めて下さい。

そらまるは、1つ下の中で「めっちゃ気が合う」と言う親友ができました。その他にも仲の良いグループもいくつもあって、ディズニーランドへ行ったり、映画に行ったり、野球で集まったり、普通に「そらまる」と下の名で呼びすてされていました。
体育祭などで見る姿では肩組んで笑いあっていたり、卒業前はクラスの大勢で焼肉やカラオケに行って深夜帰宅していたり、それから皆で合宿免許をとりにいったり、卒業旅行はクラスの数人で海外に行きました。

そして、第一希望の学部に進学しました。
留年は、そらまるにとっても親にとっても、経験と成長と絆をもたらしてくれた財産です。


顔を上げて前を向いて、ユニークな人生を親も一緒に楽しみましょう!


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