8月31日に必勝判定模試を終えたこの時期、「成績ギリギリっ子」を支えておられる皆さまが、葛藤の毎日をお過ごしであることを心よりお察し致します。
同じくギリギリボーイの母として過ごしたこの時期、反抗期真っただ中であったそらまる、9月になっても相変わらず意識の目覚めないそらまるとのことを、この記事で回想します。
この時期、切っては切れない「反抗期の話」のあとに「志望校判定模試の話」と続きます。
反抗期全盛期突入
~話しは、中3の8月あたりに飛びます~
この頃までのそらまるを軽く説明すると、成績は中1と未だ変わりはなかったが、勉強に対しての姿勢は、更なる悪化の一途をたどっていた。
なぜなら、反抗期全盛期に突入していたからだ。
中1時代も相当なものだったが、地蔵ステージ以降、全く親の指示は通らなくなり、それでもなんとしてでも守らせようとする母VSそらまるの攻防戦は、休むことなく火花を散らしていた。
壁には無数の穴が開いた。(イライラして拳で壁を殴ったり踵で蹴ったりした夢の跡)
そらまるの投げたものによってテレビの液晶が2台割れた。
2代目は右端15センチくらい縦に液晶割れしているが、そのまま現在も使用している。野球のスコアが見えない、右側の出演者が誰だか分からないから声で予想する、あまり無いが映画の日本語訳が右に縦表記の場合はアウト、などの多少の難点はある。
仕事から帰宅したら部屋のタンスと言うタンスの引き出しごと床に投げ出されてあった。(ゲーム機をパパが隠したらしく、怒りながら探した夢の跡)
当の本人は、ワセアカに出向いていて不在であった。そんな心情でも時間になれば塾に行くなんて偉いなと思いながら片付けた。
怒りで投げたサッカーボールがエアコンに当たり、蓋が閉じなくなった。(閉じないけれど使用上の問題は無し)
毎晩寝るまで音楽の爆音と、ゲーム時の耳をふさぎたくなるような罵声…。
とにかく、あの頃の我が家は地獄絵図であった。
男子の反抗期とは、本当にすごいものだ。(激しいほう?)
それでも、血気盛んに挑む背の低い母とそらまるの背の高さが逆転したある時期を境に、どこまでも引きさがらない母は壁まで追い詰められ、胸ぐらをつかまれ、低い声で「それ以上言ったらどうなるか分かってんだろうな」とすごまれ、母陣営の敗北が確定した。
・最低90分勉強する ・勉強したらゲームをしてよい ・部屋の整理(床にプリントや教科書が無い状態) ・プリントはファイルに入れる ・0時には寝る ・お風呂は1時間(2時間は入るため)・土日の朝は8時には起きる(昼まで寝るため) ・ご飯はテーブルで食べる(これは中2から一切テーブルで食べなくなり3年戦った)・学校の成績で2が付かないよう宿題はせめて期限だけは守る(ついに守られることはなかった) ・内申の為に遅刻をしない
思い浮かんだだけでも、これらすべては中3には1つも守らなくなっている。
まさルールなき無法地帯を生きているそらまる陣営であった。
よく見て頂けたらお分かりだろうが、そこまで大したルールではない。
しかし、この程度のことすら、そらまる陣営に近寄ろうものなら一触即発・一切断固拒否なのであった。
今なら分かる。挑まず放っておけば良かったのだ。
それが反抗期男子の取説なのだ。もし、反抗期の息子の相談を受けた触らぬ神に祟りなし」とアドバイスするだろう。
この時期は、行儀悪く寝転がりながら食べろと反抗期脳が指令を出していたのだから仕方なかったのだ。反抗期脳に常識や行儀作法は通用しないのだ。
心配しなくても、一生寝転んで食べることはない。今では、勝手にきちんと座って食べている。
壁に穴を開けさせたのも、テレビを壊させたのも、タンスひっくり返させたのも、そらまるは実行犯だっただけ。
本当の本当の黒幕は、いつも戦いを挑んでしまっていた母だったのだ。
★反抗期・思春期のお子さんへの関わり方
👉深追いせず、見逃すことが大事
生活面・勉強面において
「10のうち3くらいできていたらいい」
と片目の、更に薄目で見てるくらいがちょうどいいのです。
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この時期は、真正面から「正論」で挑んでもなにも響きません。
ただ、親子関係が悪化するだけです。
そのうちに「反抗期」という嵐は去り
目の前には「話の通じる成長した我が子」が現れます。
生活面は、3できていたらヨシと「見逃す」
勉強面は、先生にお願いして「任せきる」
嵐を経験した私が、そんなヒントをお話しします🌸
必勝判定模試への親子の想い
8月末日、必勝志望校判定模試という早稲アカ内のテストがある。早稲アカでは、中3から日曜必勝という講座が始まり、前期と後期でそれぞれ資格を得なければならない。
この志望校判定模試は、日曜必勝後期の資格を得るための、本当に大事なテストである。
ここにかける中3生の想いは非常に強い。
なぜなら、日曜必勝には早慶必勝クラスと難関必勝クラスとあり、早慶必勝クラスでは早慶の問題を解けるようになる授業が行われ、難関必勝クラスではGMARCHの問題が解けるようになる授業が行われるため、早慶を目指す子は、是が非でも早慶必勝クラスへの入室資格を手にしたいわけである。
さて、このクラス分け確定後の10月、保護者会が開かれた。
早慶必勝は更に、αクラスとβクラスに分けられるのだが、そらまるの在籍する早慶下位クラスの生徒達は、今回のこのテストで、1/3は早慶αへ、1/3は早慶βへ、1/3は難関必勝へ、という状況となった。
そらまるは、またしてもギリギリ通過となり早慶βクラスに滑り込みはしたが、恩田先生は神妙な面持ちで、保護者達へこう伝えた。
「αとβでは、どうしても合格率が違います。私たちは、次の早慶OPで(次の必勝入室資格のテスト)難関の子を早慶に、βの子をαに上げるために、全力で頑張りますので、どうか希望を捨てずに…ね、頑張りましょう」
恩田先生の「希望を捨てずに…ね、」という言葉に、私は違和感を覚えた。この言い回し、言葉と言葉の「間」、そして表情。いつもの歯切れの良い、理路整然と淡々と話す恩田先生とは、なにか様子に違いを感じたのだ。
この保護者会から数日後、私は別件で電話したのだが、そこでその違和感がなんであったのかが垣間見えた。それは、話の終わりに「残り4か月、不安ですが親はもう見守るしかないですね。」と言った私に返してきた、恩田先生の言葉だった。
「そうですね。特に早慶下位クラス生の保護者の方々は、皆さん非常に不安であると思います。」
「我が家だけでなく、皆さんそうですか?」(←知り合いがいない為、周りをよく知らず)
「はい。不安を訴えて来られる方は、非常に増えています。テレサママさんだけじゃないですよ。
でも、子供たちは本当に頑張っています。諦めていません。我々も諦めていません。
あと少し、保護者の皆様には、不安など見せず、そこはグッと辛抱して頂き、ただただ「頑張ってるな!」と応援だけして頂きたいですね。
子供達が不安にならず、頑張れる環境の中で、最後まで走り切らせたいです。」
残り4か月と言う中で、βクラスだから…難関クラスになってしまったから…もう早慶は諦めたほうがいいでしょうか?と、恩田先生に保護者の方々から相談がかなり来ていたのだ。
「希望を捨てずに…ね、」あれは、相談してきた保護者の方々へかけた言葉だったのだ。
私も、気づけば1日中ため息をついていた。とにかくずっとだ。呼吸するようにため息をついていた。ため息しか出ないとは、まさにこのことだ。辛かったのだ。
テレビもつけずボーっと座ったまま、気づけばいつの間にか辺りは暗くなっていることもあった。
「全滅したらどうなる?内申が酷すぎて、3年間目指してきた高校より、偏差値にしたら30も低いような高校しか併願確約が取れないそらまるは、そこに通うことになるのか?」
薄暗くなった部屋で、そんな思いに急に掻き立てられては、息ができないほど苦しくなった。
ギリギリっ子の母とは、そんなとてつもない恐怖の中に生きているのだ。
なにより苦しいのは、自分にはどうすることもできないからである。
受験するのは本人であり、そこに向き合うのも本人であり、今、勉強するかしないか、それを決めるのも本人でしかない。
息子がどう考え、どう行動するのか、はらはらひやひやばくばくしながらも、親は横で指をくわえて見守っているしかないのだ。
だからこそ、ギリギリっ子の母は、もどかしくて、辛くて、納得できなくて…苦しいのだ。
そらまるは、前期も後期も早慶必勝βクラスに在席し、この後の早慶OPテストでもαクラスに上がることはなかった。
全く回らなくなる
この8月末の志望校判定模試の結果の時点では、そらまるの慶應義塾高校格率は65%の合格可能圏に位置し、明大中野は90%合格圏であった。
しかし、9月から早慶必勝βクラスに通い出したそらまるは、みるみると成績が下降していった。
中1から中3の8月末までのそらまるの成績は、常にほぼ似たような位置をキープされている状態であったのだが、9月以降、みるみると落ちていったのだ。それはもう、見るも無残なほどに。
理由は簡単だ。
今まで通常授業の宿題すらきちんと回したことのないそらまるは、9月から始まるこの日曜必勝のほかに、苦手教科を強化するために通う土曜特訓、そして通常授業、これら全ての宿題が全く回らなくなった為、定着もない状態でまた次の授業を受ける、この負のループを繰り返すこととなり、全ての授業の理解度がどんどん下がっていったのだ。
先週の授業の理解度を確認される確認テストでは、日曜必勝で常に30点以下、通常授業の確認テスト、こちらはいつの時代も30点以下、このように、どの場面においても理解が3割もいかない中、成績が下がるのは当然と言えた。
それでも今までは、そんなそらまるに恩田先生が補習を行い、そこで理解が追い付き、早慶下位クラスに首の皮1枚で繋がっていたわけだが、9月からは、恩田先生も通常授業以外に日曜必勝を受け持ち、他校舎での土曜特訓も受け持つなど非常に忙しくなり、そらまるに時間を割く時間が物理的に厳しくなっていた。
ここにきても、まだそらまるは、宿題を丁寧に取り組み、理解を定着させ、分からないところは分かるようにしておくという当たり前のことを拒否していた為、恩田先生の管理が手薄になってしまった9月以降は、まさにお手上げ状態となったのである。
男子の走りだし方の定番は「夏休みから」
早稲アカのど定番である王道は、夏休みから目覚めるギリギリボーイだ。そういった子は意識が高まり、ぐんぐん伸びる。早稲アカでよく言う「目の色が変わる」である。
しかし、夏休み以降も意識変わらぬ目覚めぬギリギリボーイもいる。それがそらまるだった。目の色はそらまる色のまま、意識は変わらず低いまま、であるのに宿題は莫大に増える。
そして、中3後期、増える増える宿題が、どんどんどんどん回らなくなり、みるみるみるみる成績が下降していくという事態に陥っていくのである。
しかし、そらまるは、下がる下がるテストの結果を見ても「それでもなんとかなって合格する」と相変わらず心折れることはなく、根拠なき自信の鬼だった。
そして、私が泡を吹いてぶっ倒れたのは、そらまるが10月から、空いてる時間に名探偵コナンやワンピース、ハイキューなどの、とんでもなく長いアニメを1話目から見るという、奇行まで取り始めたことであった…
【志望校判定模試の結果公開|慶應義塾高校に合格したβクラスの息子】
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あの頃の私は、毎日不安に押しつぶされそうでした。
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