とかく中学生時代は、内申が取れるか取れないかで子供の資質を問われます。
そらまるは、3年間内申27、高校に提出する3年2学期の内申だけ30(しかし、慶應は3年間の内申を記載)となり、そして中学最後3学期の内申は26で幕を閉じました。
魂が削られていく
皆さんのお子さまは、内申20台を取ったことはありますか?
経験のある方ならお分かりだと思いますが、内申が20台しか取れない男子と言うものは、本当にだらしなく、本当に全てを雑にこなし、そして、本当に大人の言葉が響きません。
私は、そらまる暗黒期時代中1から高1までの4年間、心が疲弊していました。それによって、体調も崩しました。ちょっとのことでもイライラしてはスナフキンパパに嫌~な言葉をぶん投げ、スナフキンパパは暗雲立ち込めるのを察しリビングから逃げていく、なんてこともしょっちゅうでした。
私は、毎日眠りが浅く、夜中2時、3時、5時と必ず目が覚めるようになり、そのたびにため息をつく状態でした。(この睡眠障害は、なかなか治らず7年続きました)
常に内申のとれない雑でだらしないそらまる、高1の初っ端からすでに留年しそうなそらまるのことが寝ている間も頭から離れることがなかったのです。
あの暗黒期は本当に魂が削られていました。
私が絶対しなかったこと
それでも私は、絶対にしなかったことが1つあります。それは
そらまるを馬鹿にしたり、人格を否定しなかったことです。
もちろん、勉強しない、ゲームばかりしている、部屋とカバンの中はいつも大変な有様、そんなそらまるとのバトルは壮絶なものでした。取っ組み合いもしましたし、壁に穴も開きましたし、ひっかき傷もできましたし、外に聞こえる程の大絶叫もしょっちゅうでした。
それでも、そのときそらまるに浴びせる言葉は
お前はやらないから成績がとれないんだ!雑だから内申が取れないんだ!
お前はやればできるんだ!お前は地頭は最強なんだ!(←最強とまでは言い過ぎ)
先生たちもお前はやれば早慶楽勝なのにもったいないと言ってんだ!(←かなり盛っている)
丁寧に宿題をやりさえすればすぐ早慶上位クラス行きだっつーの!!!(←定かではない)
お前は才能の塊なのに!この宝の持ち腐れ野郎ーーーーーー!!!
取っ組み合いしてるし、怒鳴り散らしているのですが、浴びせる言葉はこのように肯定感溢れるものでした。笑
そらまるはそんな母に、「黙れ!口出すな!お前に何言われても僕は絶対やらねーんだよ!」と反撃してきていましたし、バトルの日々で家のムードは数年ピリピリとした暗いものでしたが、そらまるの心に「親から言われた言葉」としての傷は残っていないだろうと思います。
この手法は、まさに竹中直人。笑いながら怒るの逆バージョン、怒りながら褒める!
もちろん、1番は冷静に褒めることなのでしょうが、怒りながら否定するよりは100倍も良いものではないかと自負しています。笑
腹が立ってどうにも耐えきれないときには、この竹中直人手法をおススメします。
価値基準
私は、そらまるの小学生時代からの幼馴染たちに対し「そらまると同じ、公園で遊ぶのが大好きな子供達」というイメージしかありませんでした。
しかし、その子達のほとんどが、中学では内申40台を取っていたということを卒業してから知りました。
そらまるの大親友のママと中学卒業後にランチをした際、初めていろんなことを聞いたのです。
大親友君は3年間、内申が最低で43だったこと、テストでは全教科97点以下を取ったことがないということ。
そして、昔からいつも一緒に遊んでいたその幼馴染たち皆で、常に定期テストを競争していたこと。そこに、そらまるだけは入り込まなかったのだということを。
つまり、内申40以上取る子供たちは、空気を吸うかのように目の前に良きライバルを作り、目の前のものに目標を掲げられるということなのです。
親が何も言わずとも、勝手に周りの仲間達と競争し、勝ちたいがために勝手に勉強する。
大親友君は、定期テスト勉強は2か月前からじわじわと、1か月前から本格的に開始していたそうです。
一方そらまるは、理社はテスト前夜から開始し、副教科はノー勉で挑んでいたわけです。
これが内申40台の子と内申20台の子、その違いはこんなにも明らか!
では、幼馴染君たちとそらまるの、この違いは一体なんなのか?
お答えしましょう。
それはひとえに
そらまるにとって、定期テストやテストでの勝ち負けなど道端に落ちている小石ほど心底どうでもいいことなのであるということです。
これは即ち
そらまると幼馴染君たちのそれらへ対する価値基準が全く違うということなのです。
価値基準
これが全ての行動の源ではないでしょうか。
その子の持つ価値基準を無視して、内申40を取る子を見習え!今やるべきことはなんだ!目を覚ませ!など言ったところで、響かないのは至極当然なことであるわけです。
一人一人、持って生まれてきた価値基準は異なります。
完璧に取れるまでテスト範囲を何周もして挑む子もいれば、6~7割取れる程度でいいと考えて挑む子もいます。
競争に勝つことに喜びを感じる子もいれば、自分のやりたいことを自分がうまくできたかどうかだけに喜びを感じる子もいます。(そらまるは完璧にこちら)
そらまるの価値基準は、スレスレで合格することでした。いかに余分な点数を取らず合格できたか、それがそらまるにとって最大の喜びで、最高に価値ある合格でした。
このような子に「完璧になるまで何周も問題集を解く」ことなど、まかり通るわけがないわけです。
大人になった今でも、何事においてもコスパの良さに大きな価値を感じるそらまるに変わりはありません。
四柱推命風
価値基準は生まれ持ったものです。小さい時からこう育てたから、こう習慣づけたから、などという浅いものではなく、持って生まれてきたものです。
人は地球に生まれてくる時、自分で選んだ車に自分で選んだ武器を積んで降りてきて、そして自分の人生を走るといわれています。(四柱推命的に言うと)
性能が良く燃費の良い車、スピードは早いが燃費の悪い車、しょっちゅうエンストを起こす車。
「僕は、しょっちゅうエンストを起こす車にする!性能が良くてスイスイ走る車より、休憩しながら景色を眺める時間がたくさん持てるしね!」このように自分のやりたいことを考えて選んでいるわけです。
しかし、親は、性能が良くスイスイ走る車に乗る子と同じことを求め「景色なんかみてないでさっさと修理して走れ!」しまいには積んである武器にまで「そんな不必要な武器捨てろ!」なんて言い出したりします。
このように、その子が進みたいと決めて生まれてきた人生を親の価値基準で阻止すると、その子は人生をこじらせることになると、四柱推命的には言われています。
私は占いを信じきっている人間ではありませんが、この四柱推命の考えはとても腑に落ち、そらまるは決して性能の良い誰もが認める日本車ではないだろうけど、そらまるの車と積んである武器を認め、決してそらまるの人生を阻止しないようにしようと考えています。
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